1999年、東京都文京区に第1号店が誕生した来店型保険ショップ『保険クリニック』は、今年20周年を迎えます。
そこで、20周年を記念して、「20」をキーワードに様々なことをみなさまにご紹介。20年前の出来事や現代との比較、20に関するトリビアなど、懐かしの話題から「へぇー!」という情報まで、楽しくお届けします。
球界に大激震を起こしたイチロー選手の引退。
日本のイチロー。世界のイチロー。野球ファンではなくとも、彼のスタイルは心に刺さると彼のファンの方も多いのではないでしょうか。
そんな彼のターニングポイントとなったのは20歳の頃という見解が実は多いのです。
彼が残した数々の名言と共に、20歳のイチロー選手を振り返ります。
目次
210安打を放った イチロー選手20歳の偉業
1994年、イチロー選手は20歳、プロ3年目、レギュラー1年目。当時の所属はオリックス。
イチローは210安打を放ち、日本に「イチロー旋風」を巻き起こしたのはまさにこの時でした。
登録名を「イチロー」に変更。
「鈴木」という選手は他にもいたこともあり、当時監督であった仰木監督がファンの方々に覚えてもらいやすいよう提案したのが「イチロー」だったそうです。
実はこの登録名に変更したのが、彼が20歳の時でした。
そして後に世界から「イチロー」の愛称で呼ばれるようになったことから、仰木監督の目論見は大成功であったと言えるのでしょう。
鈴木一朗とイチローは別人です。鈴木一朗がイチローに、作品を作らせている感覚です。今までの10年は、イチローが鈴木一朗よりもだいぶ先を走っていましたから、そこに追いつけなかった。でも、ようやく追い抜いた。もはや、彼は僕の一部です(笑)。
レギュラー1年目を支えた強い想い
イチロー選手20歳、レギュラー1年目。
その時、開幕後すぐにチームは試合に負けてしまいます。
重い空気が流れる中、イチロー選手もそれに飲み込まれます。
その際、監督から「イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ。勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!」と言葉をかけられたそう。
そこから、「この人のために頑張りたい」という気持ちが強く芽生えたとインタビューで話しています。
次にご紹介する名言は、もしかするとこのやり取りから生まれたものかも知れません。
やれることは全てやったし、手を抜いたことはありません。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備した自分がいたことを誇りに思っています
僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果が出なかった。でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。なぜなら、できる限りの努力をしたからです
「振り子打法」は記者との痛烈なやり取りから名づけられた!?
間違いなく歴史に名前を刻んだイチロー選手の代名詞ともいえる「振り子打法」。
実はこの打法はイチロー選手が20歳のころに生まれ、また記者との痛烈なやり取りから名づけられたのだそうです。
記者からの質問に対しても記者の技量を試しながらも、独特の表現力をもって返す姿が人気のひとつでもあったイチロー選手。
それはまだレギュラー1年目のころから発揮されています。
イチロー選手の打法に少し違和感を覚えた記者が「打ち方を変えたの?」と質問したところ、「どこが変わったか考えてください」と返答。
記者は何度もビデオを見直し、後日「右足の使い方がこれまでと違うよね」と回答したところ、「本当は去年もこの打ち方をしていた時があったんですよ」と返されたそう。
このやり取りをもとに記事を書いた記者は後に「振り子打法の名付け親」と称されるようになったそうです。
どんな状況でも一定のラインをクリアするのがプロです
世界から愛された「イチロー」
ファンはもちろんのことですが、チームメイト、さらには引退会見を通し様々な記事からは記者からの愛も溢れていると感じとられるものが多いのも事実。
人々を魅了し続けた彼の大きな魅力は、やはり根本に『努力家』であり、だからこそ誰もが応援したくなる気持ちを駆り立てるのかも知れません。
大切なのは、自分の持っているものを活かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく
努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです
これからも世界は事あるごとに彼を思い出しては、彼の言葉や姿に励まされるのでしょう。
できることならば、彼の姿を今後も見たいと願うばかりです。
最後は年齢を重ねていることばかり質問する記者に対して、引退した今だからこそ何とも感慨深い、イチロー選手が放った言葉でしめたいと思います。
自分の限界を見てから、バットを置きたい
<参考>
■Number > まさにイチローの時代だった「平成」。彼はいつ国民的大スターになったか。
https://number.bunshun.jp/articles/-/838750
■Number > イチロー、44歳での開幕スタメン。「20歳のあの時に近い感覚がある」
https://number.bunshun.jp/articles/-/830351
■イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。
https://article.auone.jp/detail/1/6/10/104_10_r_20190326_1553555051645032
■スポニチ > 【歴代番記者が語るイチロー】20歳の選手から課された“宿題”…「振り子打法の名付け親」に
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/23/kiji/20190322s00001007571000c.html